探偵という仕事をしていると、時計の針が「日常」を刻むことはまずない。
多くの人が眠りにつく深夜、あるいは静まり返った早朝こそが、我々の「主戦場」となることが多々ある。
今回は、まさにそんな「予期せぬ一撃」から始まった、ある長い一日の記録を綴ろうと思う。
これは、数ヶ月にわたる膠着状態を打破した、一筋縄ではいかない不倫調査の終止符の物語だ。
午前2時の通知音:妻の直感と「ブランド物の下着」
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その日は、溜まっていた報告書の作成を終え、ようやく眠りにつこうとしていた時だった。
枕元でスマートフォンのバイブレーションが、静まり返った寝室に不気味に響いた。
画面を覗くと、現在進行中の案件のクライアント、A子さんからのLINEだった。
> 「クロキさん、夜分にすみません。明日、いえ今日の朝から調査をお願いできませんか?」
>
時刻は午前2時を回っている。
「急だな」というのが本音だ。
しかし、この数ヶ月、A子さんと共に戦ってきた日々を思えば、ここで「無理です」とは口が裂けても言えない。
この調査は、すでに数回空振りに近い状態が続いていた。
対象者である夫は、週に2回ほど仕事帰りに浮気相手と会っていることは分かっていた。
しかし、二人が選ぶのはいつも、「不倫の証拠としては弱い」場所ばかりだった。
居酒屋で食事をし、少しほろ酔いでカラオケボックスに入る。
2時間ほど滞在して、何食わぬ顔でそれぞれの帰路につく。
「カラオケボックスでやっているのか?」
そんな疑念も浮かんだが、裁判で戦うための「不貞行為の証拠」としては、カラオケへの出入りだけではパンチが弱い。
さらに厄介なことに、彼らが密会する地域には、ラブホテルはおろか、ビジネスホテル一軒すら存在しない「空白地帯」だったのだ。
いつか、どちらかが痺れを切らして、場所を移すはずだ。
そう信じて継続していたが、決定打が得られないまま時間だけが過ぎていた。
しかし、今回のA子さんの連絡には、確かな「根拠」があった。
> 「実は、彼のクローゼットに隠されていたブランド物のボクサーパンツを見つけたんです。夫の誕生日、私はそんなもの贈っていません。浮気相手からのプレゼントに違いありません。そして今夜、彼はそれを履いて、妙に機嫌がいいんです。明日は本来、彼の出勤日ですが……何かが起こる気がします」
>
女性の、特に「妻」の直感というものは、時に最新鋭のレーダーよりも正確だ。
「勝負下着」を履いて、朝から機嫌がいい不倫夫。
これ以上のフラグがあるだろうか。
私は即座に返信した。
「了解しました。私一人になりますが、早朝から自宅前で待機します」
孤独なスタート:探偵の「有給休暇」予測
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午前5時。
まだ夜の帳が降りている町田の街を、私は一台の調査車両で走り出した。
本来、調査は「二人一組」が鉄則だ。
尾行中に見失うリスク、トイレの問題、そして多角的な撮影。
一人での調査は、探偵にとって最も胃が痛くなるシチュエーションである。
しかし、この緊急事態に相棒を確保するのは物理的に不可能だった。
「今日は、俺一人で仕留めるしかない」
現場に到着し、朝日が昇るのを待ちながら、私はこれまでのデータを反芻していた。
これまで、仕事帰りや土日の調査では、決定的なホテルへの出入りはなかった。
しかし、過去に一度だけ、「職場から出てこなかった日」があった。
当時は「裏口から巻かれたか?」とも考えたが、今思えば、あれは有給休暇を取得して、朝からどこか別の場所で密会していたのではないか。
もし今日、彼が本来の通勤ルートを外れれば、それは「有給不倫」の確定を意味する。
午前7時30分。
自宅のドアが開き、対象者が現れた。
ブランド物のパンツを履いているかどうかは外見からは分からないが、確かにA子さんの言う通り、足取りが軽い。
尾行を開始する。
彼はいつもの駅へ向かい、いつもの電車に乗った。
ここまでは「日常」の風景だ。
しかし、彼が職場のある駅に到着した時、その「日常」は崩れ去った。
プシューッ。
ドアが閉まる。彼は、降りるべき駅で降りなかった。
私は心の中でガッツポーズを作った。
「当たりだ」
繁華街の罠:ロータリーの「エレベーター旋回」
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電車は走り続け、都内の某繁華街の駅に滑り込んだ。
彼がホームに降り立つ。私は距離を保ちつつ、雑踏に紛れて背中を追う。
階段を降り、改札を抜けた先には大きな駅前ロータリーがあった。
ここで、これまでの調査では一度も見せなかった、彼の**「異常な行動」**が始まった。
階段でロータリーに降りた直後、彼は不自然に立ち止まり、周囲をぐるりと見渡した。
そしてあろうことか、今降りてきたばかりのロータリーのすぐ脇にあるエレベーターに乗り込み、再び上のフロアへ戻ったのだ。
「警戒している!」
これは探偵の尾行を巻くための、あるいは周囲に誰か知っている人間がいないかを確認するための、古典的だが効果的な対抗手段(カウンター・サーベイランス)だ。
一人での尾行中、これほど心臓に悪いことはない。
私はエレベーターには乗らず、階段の死角に身を潜め、上のフロアのガラス越しに彼の動きを追った。
彼は上のフロアで数分間、仁王立ちで周囲を見回していた。
その視線は鋭く、いつもの「マヌケな不倫夫」の顔ではない。
やはり、今日は彼にとっても「絶対にバレてはいけない、特別な日」なのだ。
確信を得たのか、彼は再び階段を降り、足早に歩き出した。
その先に待っていたのは、これまで何度も写真に収めてきた、あの浮気相手の女だった。
二人が合流した瞬間、あれほど鋭かった彼の警戒心は、雪が溶けるように霧散した。
鼻の下を伸ばし、女の肩を抱く。
その顔は、もう「獲物」の顔だった。
ラブホテルの死角:二つの出口と「増援」までの2時間
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二人は駅前のカフェに入り、ゆっくりと朝食を済ませた。
平日の午前中。周囲は忙しなく働くサラリーマンたちで溢れている。
その中で、背徳の朝食を楽しむ二人。
カフェを出た後、彼らが向かったのは……
ついに、念願の「ラブホテル」だった。
町田や相模原の郊外とは違い、この繁華街には無数のホテルが立ち並んでいる。
二人が選んだのは、入り口がやや奥まった場所にある、プライバシー重視の中型ホテルだった。
「入り」の撮影は完璧だ。
二人が肩を寄せ合い、自動ドアの向こうへ消えていく動画。
ボクサーパンツのプレゼントが、実を結んだ瞬間だった。
しかし、ここで探偵として最大の難問に直面した。
このホテルの構造を確認すると、「出口が二つ」あることが判明したのだ。
* A出口: メインの通りに面した、駅に近い出口。
* B出口: 裏路地の細い道に面した、人目を避けるための出口。
一人で両方の出口を監視するのは不可能だ。
もしA出口で待っていて、彼らがB出口から出てタクシーを拾えば、これまでの苦労は水の泡になる。
私は即座に、事務所の別の調査員に連絡を入れた。
「証拠は取れた。だが出口が二つある。至急、増援を送ってくれ」
返答は、「最短で2時間後」とのことだった。
「2時間……。それまでは、一人で両方を張るしかない」
不倫カップルがラブホテルに滞在する平均時間は、2時間から4時間。
有給休暇を取っていることを考えれば、もっと長い可能性もある。
私は、ホテルの構造を熟知していた。
幸いなことに、このホテルには中にはリゾートイメージした作りになっていて「待合スペース」のようなものが少し広めに取られていた。
私は、あえて「ホテルの待合スペース」に身を置くというギャンブルに出た。
外の路地を右往左往するよりも、中で「出口の分岐点」を張る方が確実だ。
もちろん、彼らと鉢合わせるリスクはある。
しかし、変装(メガネと帽子、上着の着脱)を駆使し、スマホをいじる「客」を装いながら、私は息を殺してその時を待った。
17時の決着:夕闇に紛れる「本物の証拠」
2時間が経過し、待ちに待った増援の調査員が到着した。
これで布陣は完璧だ。
一人は裏口、私は表口の至近距離に陣取る。
時間は経過し、正午を過ぎ、午後3時を回った。
彼らはなかなか出てこない。
有給休暇という「自由な時間」が、彼らの背徳感をより深めているのだろう。
午後5時近く。
街に街灯が灯り始め、家路を急ぐ人々が増え始めた頃。
私のイヤホンに、増援の調査員からの無線が入った。
「フロント、動きあり。対象者、精算を終えてロビーに向かっています」
私はカメラを構え、フォーカスを入り口の自動ドアに固定した。
案の定、二人は「駅側」であるA出口から姿を現した。
ホテルの入り口から出てくる、少し乱れた髪の対象者。
そして、その横で満足げに腕を絡める浮気相手。
二人の正面からの顔、そしてホテルの看板を背景にしたツーショット。
「カシャッ、カシャッ、カシャッ……」
静かなシャッター音が、夕暮れの喧騒に紛れて刻まれる。
これまでの数ヶ月の空振り、深夜のLINE、極寒の待機。
すべてが、この数枚の写真に集約された。
その後、二人は駅へ向かい、名残惜しそうに手を振って別れた。
対象者は再び「いつもの夫」の顔に戻り、家路につく。
しかし、彼のバッグの中に隠された「脱ぎ捨てられたボクサーパンツ」と、私のカメラに収められた「不貞の記録」が、彼の偽りの日常を終わらせる。
探偵クロキの視点:なぜ「下着」が証拠に繋がったのか
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今回の調査が成功した最大の要因は、間違いなくA子さんの「観察眼」だ。
不倫調査において、我々探偵がどれだけ優れた機材を持っていようと、「いつ、どこで会うか」という予測の精度には限界がある。
そこで重要になるのが、家庭内での小さな変化だ。
* 下着の新調: 自分で買わないようなブランド物、派手な色、あるいは高級な素材。これらは、異性からのプレゼントである確率が極めて高い。
* 機嫌の変化: 普段、家で不機嫌、あるいは無関心な夫が、特定の日の朝だけ妙に多弁だったり、鼻歌を歌ったりする。これは、これから待っている「報酬(密会)」への期待値が、脳内のドーパミンを溢れさせている証拠だ。
男という生き物は、悲しいかな、単純だ。
「勝負下着」を履くことで、自分をより魅力的に見せたいという心理が、そのまま行動に漏れ出してしまう。
今回の夫も、有給休暇を使ってまで、その「新しい自分」を浮気相手に見せたかったのだろう。その代償が、離婚届と多額の慰謝料になることも知らずに。
終わりに:調査の終了、そして新たな始まり
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報告書をA子さんに手渡した時、彼女は震える手で写真を見つめ、最後には小さく頷いた。
「ありがとうございます。これで、やっと眠れます」
その言葉の重みを、私は忘れることができない。
探偵の仕事は、誰かの幸せを壊すことではない。
「偽りの幸せ」という呪縛から、クライアントを解き放つことだ。
もし、あなたも「何かがおかしい」と感じているのなら。
深夜のLINEでも構わない。
その違和感の正体を、私たちが突き止める。
真実を知ることは、確かに痛みを伴う。
しかし、その痛みの先にしか、本当の再出発はないのだから。
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